遠慮せずに雑誌を捨てる

雑誌をあまり買わなくなってからずいぶん経つ。買わないから読まない。読まないから買わない。ネット上のコンテンツは無料で、それを読んでいると雑誌を読む時間がなくなる。

雑誌を読むためのお金を使わなくなる。お金が減らないのもいいことだし、「あぁ、お金があったらいいのに」と思わなくてすむのもありがたい。雑誌をしまうとか捨てるとかの心配も要らなくなる。

さらに、紙を使わないことに何となく達成感のようなものがある。ペーパーレス。森を守ったぜ、とまでは言わないけれど、紙を使わずにすませたことがいいことで、紙を使わずにできたことのために紙を使ったことで何となく後ろめたく思うような。

この、何となくの後ろめたさで失われるものをあまり小さく評価してはいけないのではないか。ふと、そんなことを考えた。500円とかの雑誌にパラパラっと目をとおして得られる何か。ちょっとした時間に雑誌の記事を読んで、または読み返して得られる何か。

支払うお金がそれに見合うものであるかどうかは(自分のお小遣いの残り金額とあわせて)常々考える必要があるとは思う。でも、紙がもったいない、というだけの理由で「何か」を得る機会を失うのは紙以上にもったいないことなんじゃないか。

気になったものはお小遣いの範囲で買って、眺めるなり読むなり読み返すなりして、部屋が過剰に散らからないよう注意して、必要ならスキャンして自分で(これ重要)捨てる。捨てることを遠慮しない。できるなら保管しておきたいけれど、部屋に置いておけるものの量はあまりに少ない。

雑誌は安くないし、買ってみたら読むとこなくてガッカリだったりもするし、お金は使わずに済ませられるならそれに越したことはないしで、タガを外しちゃうのは怖いんだけれど、雑誌を買わないという気持ちを少し和らげてみようかと思っている。